「アーネスティン・ホワイト女史」 について
10月はITCの創立記念月です。
ITCの創設者アーネスティン・ホワイト女史がどのようにしてこのITCを立ち上げていったかをお話します。
23才の時に弁護士 ジョージ・バーナード・ホワイト氏と結婚しました。ホワイト氏はサンフランシスコのトーストマスターズクラブのメンバーでした。結婚8年後の1935年6月のある夜、トーストマスターズクラブの例会は夫人同伴の「ご婦人の夕べ」という会合でした。閉会後ロビーで婦人たちが主人を待ちながらおしゃべりをしていました。
その夜の例会がとてもよかったこと、そして「私たち女性にもこういうクラブができないかしら?」と誰かが言い出し、みんなの思いが高まりました。この事がきっかけで、ここにいた7人の婦人たち、その中に幸いYMCA関係者が2人いて、この人たちはクラブとか集会を計画し発展させることを仕事にしている人だったので即座に活動を始めました。又、ホワイト氏の弁護士事務所で働いていたリリアン・ウォルターズという人は、初代の副会長となった人で、後の1979年 68才の時にシェラネバダ リージョン大会で「創設者の思い出」というスピーチでアーネスティン・ホワイト女史の思い出を語りました。
その夜の7人の婦人達はそれぞれ迅速に行動を起こし、今から74年前ITC誕生の元となるクラブを作りました。それは当初「パブリックスピーキングその他を目的とする婦人のための口頭表現のグループ」という長過ぎる名称をもっていましたので、「トーストミストレスofサンフランシスコ」という名称にすぐに改めました。短期間のうちにトーストマスターズクラブの会則や常規を参考にしたり、又特許取り扱いの弁護士であった夫の援助も多く受け、やがてこのクラブはサンフランシスコに本部をおく全国的な法人組織として権利を取ることになった。
初期の例会では、リーダーズダイジェストや新聞からスピーチの材料を探したり旅行を終えたばかりのメンバーが旅の話をしたりブックレビューなどを繰り返していましたが、レベルが低過ぎたため1年もすると飽きてきました。それからは議事法を学んだり、スピーチの構成のレッスンをしてもらったり、又スピーチに対して建設的な批評の必要性を感じ人間関係に危険をはらむことを案じながらも評価を受け入れることにしていきました。
やがてこの活動は多くの関心を集め、1938年6月国際的な組織にすることが決まりITCが生まれました。その陰にはもちろんトーストマスターズクラブの多くの指導や励ましがありました。翌1939年10月サン・ホセでトーストマスターズクラブとの合同のコンベンジョンが開催され、トーストミストレスクラブ初代会長 アーネスティン・ホワイト女史にアメリカ副大統領が使っていたギャベルが贈呈されました。この時すでに20クラブが登録していました。この大会でのITC創設者のメッセージ、すなわち、アーネスティン・ホワイト女史の演説は70年近くたった今も私たちメンバーの心に新鮮な響きを与えます。
スピーチの一部をご紹介します。
参考資料:ITCマガジン、リージョン配布資料等
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